晴耕雨読

おやおや、いらっしゃい

こち亀と若さの秘訣

先日、暇だったので久しぶりにこち亀を読んだのですがやっぱりこの漫画はすごいなぁと思います。

こち亀は1976年の連載開始から現在まで40年間に渡って続く大長寿漫画で、日本人なら知らない人はほとんどいないんじゃないかというぐらい有名な作品です。

誰もが一度はどこかで読んだことがあるんじゃないでしょうか。

そしてその40年間に渡って一度も休載されず少年ジャンプに掲載され続けたというのだから驚きです。

確かにそれはすごい事だと思うし、超人的ですらあると思います。しかし、僕が本当に凄いなぁと思うのは、こち亀を読むとその時代の特色がよく分かるということです。

 

 

1976年から現在に至るまでの40年間の時代の移り変わりや、その時その時代が社会的にどんな時期だったのかというのも読み取れるし、なにより作者の秋元治先生はとても若い感性をお持ちの方でサブカルチャーや若者の間での流行がつぶさに見てとれます。

だからこち亀を読むと「そいえばこんなゲームが流行っていたな」とか「そういえばこんなおもちゃがあったなぁ」なんてなつかしい気持ちになります。

これは秋元先生が新しいものや考え方に偏見をもたず、社会の変化を前向きに受け入れているからこそできることなんだろうなぁと僕は思います。

  

僕はこういったいつまでも若い気持ちや感性を忘れずにいられる人を尊敬するし、年齢を言い訳にせずいつまでも新しいことに挑戦できる人には本当にあこがれるし、僕もそうありたいと思うのです。

 

なぜなら「人間としての死」というのは病気やケガで実際死んでしまった時に訪れるのではなく、新しいものや考え方を受け入れられなくなった時、新しいことに挑戦しなくなった時に訪れるのだと思うからです。

僕はいくつになっても今期のアニメについて語れるファンキーなおっさんになりたいし、ゲームで容赦なく子供をねじ伏せ高笑いするような大人げなさを忘れたくはないのです。

 

しかしながら、「変化」というものは人間にとって恐ろしいものです。人間というものは変化というものを嫌い、無意識にそれまで慣れ親しんだものに依存する傾向があるそうです。

たとえば最近はバブみとかオギャるとか尊いなんて言葉があります。これらの言葉に僕は最初、強い抵抗を感じました。 「バブみってなんだよ・・・」と。 

(尊いはちょっと好き)

しかし、ネット用語や流行語などが時とともに移り変わっていくのは世の常です。

例えば現在アニメなどをみて「萌え~」などと言っている人はほぼ皆無と言っていいでしょう。実際言っている人がいたら「今時なにを言っているんだ」と白い目で見られてしまいます。

だからといって別に無理して新しい言葉などを使え、ということではありません。ただ人間は恐ろしくてもどこかで変化を受け入れ、新しいものを受け入れていかなくてはいずれ行き詰まってしまうと、そう思うのです。

 

僕たちは常に古いものと新しいもの、そして過去と未来の取捨選択を迫られているのではないでしょうか。

古い荷物を抱え、過去とともに立ち止まるか、新しい荷物に持ちかえ未来とともに歩んでいくのか。

 

二次元嫁このすばのめぐみんからRe:ゼロのレムへ、Re:ゼロのレムからこの美の宇佐美さんへ、この美の宇佐美さんからまたほかの誰かに変わっていくように、変化を恐れずいつまでも若々しい気持ちを忘れずに未来を選び取っていきたいものですね。

 

 

(まぁ、僕があんまりこだわりとか執着が無い人間って言っちゃえばそれまでなんですけどね☆彡)